〜地球から脱出するまでの日々の記録〜

2014/01/31

会社をやめて気付いたこと

三年続けた会社をやめたときのことを振り返る
本当の空白を味わった気がした

ある日会社での上司との定期面談
「君にはこういう風になってもらいたい」
「はい」
「こういうキャリアもある」
「はい」
「若者といろいろ取り組んでほしい」
「はい」
「何か困っていることはあるか」
「会社やめます」


「はっ??」

予想だにせぬ言葉に上司は
開いた口が塞がらないようだった



こうして自分は会社をやめた



地元に一時帰宅
近くの海に散歩にいく
街に本を買いに行く
帰ってきて茶の間で横になる
繰り返しの日々
こうしているうちにも社会は回っているの
そんなことを考えながら



学校や会社は重力が働いている
その環境に属していると
個人差はあるだろうがしっかり立っていることができる


人生で初めて何にも属していない状態
小学校  中学校  高校  アルバイト  会社  
少しの準備期間などのグレーなものではなく
まっさらな白 そこは無重力

自分の身体がふわふわ浮いている感覚になる
そしてこの社会から飛んでいってしまいそうになる
さらにからだのなかからばらばらになってしまいそうになる




そんな感覚を味わいながら



「そうか自分は何もしたくないというわけではないんだ」



と気づいていく

感謝をされること
誰かを感動させること
世界を幸せにすること
意義のあることをすること
少しでも自分が変えているという実感を持つこと

自分が求めていたのは仕事をせずに
南の島(実家は北だけど)でなにもしないことではなく
もっと社会と関わっていくということだった


震災後の復旧業務はその感覚に触れることができたのだと思う

安定した場所でなくでもいいから
大都会な場所でなくてもいいから

その感覚をもっと感じたい

(イトナブに来る学生たち)

会社を辞めようと思ったひとつの隠れていた理由だと思う



人と関わって社会と関わって
自分という人を認識できる

両親と自分 家族
彼女と自分 恋人

書物と自分 作家
建物と自分 建築家
音楽と自分 ダンサー
洋服と自分 デザイナー

その対象との関係性が自分を表している


あるものとあるものの間にあるもの


「生まれる」「死ぬ」
自分が80で死ぬとしたら
1990-2070

まさに-(ダッシュ)の部分が自分を表す

間こそが自分ということ
人間という言葉はよくできている




周りがみえなくなっていた自分にとって
仕事をやめたのちに訪れたこの空白は
とても良い薬になった


空白とは問いなのだと思い知らされる
テストの問題で空白があると人はそこを埋めたくなる

いざ自分という存在が空白に身体ものともぶちあたると
自分という問いに目をそむけることができなくなる
問わざるをえない状況になる

社会はこういった空白がすこしずつ減ってきている
外につながる機会が増えて内につながる機会が減っている

何かを断つということ

空白がこの世界に増えることが
自分らしさとやさしさがあふれる世界への一歩だと思う